大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 平成11年(ワ)4611号 判決

原告

前場正洋

右訴訟代理人弁護士

澤田久代

高橋理一郎

林戸孝行

被告

株式会社駿河銀行

右代表者代表取締役

岡野光喜

右訴訟代理人弁護士

望月保身

白井正人

主文

一  被告は、原告に対し、金三八〇万円及びこれに対する平成一二年一月一二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

本件は、原告が被告に対し、預金の払戻請求をしたところ、被告が原告に対する支払を拒絶した事案である。

一  争いのない事実

1  被告は、銀行業を営む株式会社である。

2  原告は、平成三年二月以降、神奈川県藤沢市藤沢〈番地略〉所在被告藤沢支店において、原告名義の普通預金口座(口座番号三一九***及び口座番号三六六***)、積立定期預金口座(口座番号二一七****)を開設して、被告との間で預金契約を締結した。なお、右各普通預金契約は、普通預金取引のほか、定期預金取引及び同一口座の定期預金を担保とする金銭消費貸借(以下「当座貸越契約」という。)等の取引を含む総合口座取引契約であった。右積立定期預金口座は、普通預金口座のうち口座番号三一九***の総合口座内の定期預金として開始されたものである。

3  平成一一年六月二四日午前一一時当時の右各口座における預金残高は、それぞれ、口座番号三一九***の口座が一二四万一四九五円、口座番号三六六***の口座が一四五万九四〇三円、積立定期預金が一三八万二九四九円であった。

4  平成一一年六月二四日午前一一時四五分、被告の東京支店に普通預金口座番号三一九***、口座番号二一七****の積立定期預金の総合口座通帳及び原告名義の二四〇万円の払戻請求書が提出された。同支店の被告行員佐藤由希子(以下「佐藤」という。)は、当時右口座には普通預金残高一二四万一四九五円及び積立定期預金(口座番号二一七****)残高一三八万二九四九円が記帳されていたので、普通預金全額の出金及び金一一五万八五〇五円の当座貸越の手続をしたうえ、払戻請求書提出者に現金二四〇万円及び記帳後の通帳を交付した。

5  同日午前一一時五五分、被告の渋谷広尾支店に普通預金口座番号三六六***の預金通帳と原告名義の一四〇万円の払戻請求書が提出された。同支店の被告行員宮田明美(以下「宮田」という。)は、当時右口座には普通預金残高一四六万一二六円が記帳されていたので、宮田は、普通預金一四〇万円の出金手続をしたうえ、払戻請求書提出者に現金一四〇万円及び記帳後の通帳を交付した。

6  同日午後五時一五分、被告藤沢支店は、原告から預金残高の照会を受けたが、その際、原告は前記各預金通帳が盗難にあった旨を述べた。同支店では直ちに右預金を管理するコンピューターに紛失届の登録をした。

7  同月二五日午前八時三〇分、原告が被告の藤沢支店を訪れた。その際、原告は印鑑を持参し、これが届出印として押捺した印鑑であると述べた。藤沢支店では前項の盗難の告知後、東京支店及び渋谷広尾支店から前記払戻請求書のコピーを受領していたので原告に呈示したところ、原告は印影の相違を主張した。被告従業員佐野芳樹も、印影が違うようだという印象を述べた。しかし、被告は、氏名及び印影の照合を行なったうえ、払戻に応じたものであり、仮に盗難による損害が原告に発生していても被告は責を負わない旨述べた。その結果、原告から二口の総合口座の解約を要求され、被告はこれに応じた。そして解約時における口座番号三一九***の残高二二万八九六三円及び口座番号三六六***の残高五万九四〇三円を新たに開設した普通預金口座(番号一八四****)に振替入金した。

8  原告が、被告に対し、平成一一年九月二日、前記各預金残高合計のうち三八〇万円の請求をしたところ、被告は、原告に対する支払を拒絶した。

二  争点

1  被告の行員は、預金払戻又は当座貸越をするにあたって、本件預金通帳の印影と預金払戻請求書の印影とを総合口座取引規定にいう「相当の注意」をもって照合したといえるか。

(一) 原告の主張

本件預金通帳の印影と、本件において預金払戻請求書に押捺された印影とは、一見して相違しているところ、佐藤及び宮田は、これに気付かず、漫然と払戻又は当座貸越に応じており、相当の注意をもって両印影を照合したとはいえない。

(二) 被告の主張

佐藤及び宮田は、本件預金通帳の印影と、本件において預金払戻請求書に押捺された印影との照合において、両印影を重ね合わせ確認しており、相当の注意をもって照合したといえる。両印影は、極めて類似しており、重ね合わせ照合しても判別困難なものであった。

2  被告の行員は、預金払戻請求書提出者が預金債権者(原告又は正当な口座取引者)であると信じるにつき、過失がなかったといえるか(民法四七八条)。

(一) 原告の主張

佐藤及び宮田は、本件払戻又は当座貸越をなすにあたって、本件預金通帳の印影と預金払戻請求書に押捺された印影とを相当の注意をもって照合することを怠っており、預金払戻請求書提出者が預金債権者(原告又は正当な口座取引者)であると信じるにつき過失がなかったとはいえない。さらに、佐藤は、本件払戻又は当座貸越をなす際に、預金払戻請求書提出者が請求書に記載した住所が、原告の住所と異なるにもかかわらず、これを看過し、払戻し及び当座貸越に応じており、預金払戻請求書提出者を原告と信じるにつき過失がなかったとはいえない。

(二) 被告の主張

佐藤及び宮田は、本件払戻又は当座貸越をなすにあたって、本件預金通帳の印影と預金払戻請求書に押捺された印影とを相当の注意をもって照合しており、預金払戻請求書提出者を原告と信じるにつき過失がなかったといえる。

また、預金払戻請求書提出者が請求書に記載した住所と、原告の住所とは、わずかな相違があるにすぎず、住所の記載について不審を抱かないのが通常であるから、住所の記載に相違があることをもって、佐藤に過失があるとはいえない。

第三  当裁判所の判断

一  前提事実

争いがない事実と証拠(甲三、乙一ないし七、鑑定の結果、ただし、乙二、三は偽造文書である。)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  被告の総合口座取引契約では、被告が取引を行なう際の相手方(口座名義人)の確認は印影の照合によるものとし、取引に際し請求書等に使用された印影と、予め届け出られた印影とを相当の注意をもって照合した結果、相違ないと判断して行った取引については、それにより口座名義人に損害を生ずることがあっても被告は責を負わないとの約諾がなされていた。

2  被告は、原告との取引開始にあたって、前項の照合に資するため、原告が届け出た印鑑と同一の印鑑によって押捺された印影を右各預金通帳に貼付した(乙一、以下「本件預金通帳の印影」という。)。

3  本件預金通帳の印影と預金払戻請求書(乙二、三)の印影とは、客観的に相違する(鑑定)。

4  原告以外の者が、平成一一年六月二四日午前一一時四五分、被告東京支店において、同支店行員佐藤に対し、普通預金口座番号三一九***の預金通帳、口座番号二一七****の積立定期預金通帳及び原告名義の二四〇万円の払戻請求書(乙二)を提出した。佐藤は、右払戻請求書に記載された氏名と預金通帳の氏名とが同一であることを確認し、次いで、双方に押捺された印影を見比べて照合し、双方の印影は相違ないものと判断し、その結果、佐藤は、右普通預金残高一二四万一四九五円全額の払戻し及び右積立定期預金残高一三八万二九四九円中一一五万八五〇五円の当座貸越の手続をなし、右払戻請求書提出者に現金二四〇万円を交付した。右払戻請求書には、原告の住所として、「神奈川県藤沢市『鵠沼』〈番地略〉」と記載されていたが、原告の住所は、神奈川県藤沢市『鵠沼石上』〈番地略〉である。

5  原告以外の者が、平成一一年六月二四日午前一一時五五分、被告渋谷広尾支店において、同支店行員宮田に対し、普通預金口座番号三六六***の預金通帳及び原告名義の金一四〇万円の払戻請求書(乙三)を提出した。宮田は右払戻請求書に記載された氏名と預金通帳の氏名とが同一であることを確認し、次いで、双方に押捺された印影を見比べ照合したところ、双方の印影は相違ないものと判断し、右払戻請求書提出者に現金一四〇万円を交付した。

二  争点1について

本件預金通帳の印影と預金払戻請求書の印影の相違が、銀行員が相当の注意をもって照合すれば見極めることができる程度のものであったかについて検討する。

前提事実及び前掲証拠によれば、本件預金通帳の印影は、直径約一センチメートルであるのに対し、預金払戻請求書の印影は、直径約1.1センチメートルである。したがって、スーパーインポーズ等の厳密な鑑定方法を用いなくても、重ね合わせ照合、折重ね照合を注意深くすれば、いわゆる素人でもその外径の違いに気付く蓋然性は高い。また、両印影の形状についても、肉眼において子細に検討すれば、印影の画線の始筆部、終筆部の位置、転折部や屈曲部の形態にずれがあることが認められ、この点についても重ね合わせ照合、折重ね照合を注意深くすれば、一般人の肉眼によっても判別できるものである。

そうしてみると、被告内部の事務規定で定められたとおり、両印影を見比べ、さらに払戻請求書の印影部分と届出印鑑の印影とを照合すると、両印影は、相違していることが判別できた蓋然性が高いものと認められる。まして、預金払戻の際に印影の照合を業務として行う銀行員においては、相当の注意をもって照合すれば、見極めることができる程度のものであったものと認められる。このことは、原告が届出印を持参した際に、被告従業員である佐野が、両印影を比較して異なる印象を有したことからも裏付けられる。

それにもかかわらず、被告の従業員であった佐藤及び宮田が、両印影の相違を看過したのは、両名が、両印影の照合の際に、相当の注意をもってなすことを怠り漫然と照合したからであるといわざるをえない。

よって、佐藤及び宮田は、相当の注意をもって両印影を照合したとはいえず、総合口座取引規定に基づき、被告が免責されることはない。

三  争点2について

右のとおり、佐藤及び宮田は、右預金払戻又は当座貸越をなすにあたって、本件預金通帳の印影と預金払戻請求書の印影とを、相当の注意をもって照合することを怠ったものと認められる。また、被告東京支店の預金払戻請求書については、原告の住所と払戻請求書提出者が請求書に記載した住所とが相違するものであったことなどの事情を総合すると、正当な請求であることを疑うに足りる事情が存したものであり、佐藤がこれを不審と思わず看過し、払戻し及び当座貸越に応じたのは、預金払戻及び当座貸越をなす際に、佐藤の注意の程度が低かったことを推認させるものである。

よって、佐藤及び宮田には、預金払戻又は当座貸越の際に、請求書提出者が正当な預金債権者であると信じるにつき過失がなかったとはいえない。

四  よって、原告が、前記各普通預金口座・積立定期預金口座のうち解約時までに存した預金残高の内金として三八〇万円及びこれに対する弁済期経過後の遅延損害金の請求は理由がある。

第四  結論

以下のとおり、原告の本訴請求は、理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官・高橋隆一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例